株式会社名古屋画廊

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株式会社名古屋画廊
〒460-0008
愛知県名古屋市中区栄一丁目12番10号
TEL.052-211-1982
FAX.052-211-1923
 
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194430
 

展覧会のご案内

 

企画展開催スケジュール

企画展開催スケジュール
 
2017年7月8日(土)-7月15日(土) 伊津野雄二 展
2017-07-01
《風の砦》(部分)
伊津野 雄二 展 YUJI IZUNO
-沈黙の詩が聴こえる-
7月8日[土]-15日[土]
 
沈黙の詩が聴こえる
 夕刻、灯りを落とす前、展示室を一廻りし、“異常なし”と呟き扉を閉める―帰宅前の決め事です。展示室の高い位置から照らすライトが、まぶたの下に柔らかな陰をつくっています。顔を寄せると、その奥には薄蒼く瞳が刻まれてあり、伏し目がちに静かに一点を見据えているのです。その眼差しの強さに思わずうろたえます。不意に作家の情念の芯の部分に触れてしまった気がして。口元に視線を落とします。気品と慈しみを宿した唇は細く開かれ、漏れ出るのは悠久のときを生きる呼吸でしょうか。母なる者の命の鼓動でしょうか。照明を落とせば翌朝までの闇の空間です。その間、暗い静寂の中では木彫たちの吐息が漂うのです。きっと。
佐藤 修(東御市梅野記念絵画館館長)
 
略歴
1948/兵庫県生まれ 69/愛知県立芸術大学美術学部彫刻科中退 75/知多工房を設立 木彫、家具木工芸を手がける 80年代より建築、装飾美術を手がける 75‐88/知多工房として個展 彫刻個展:97/豊田市美術館ギャラリー 98/煥乎堂ギャラリ(前橋市) 00/名古屋画廊(以後6回) 2001~/ギャラリー椿(東京)、日本橋髙島屋、新潟絵屋、ギャラリー島田(神戸) 17/東御市梅野記念絵画館
 
2017年6月26日(月)-7月3日(月) 大澤鉦一郎展
2017-06-23
《童女》38.5*38.5㎝
愛美社結成100年・画集刊行
大澤 鉦一郎 展 SEIICHIRO OSAWA
-細密から簡素へ-
6月26日(月)-7月3日(月)
 
大澤鉦一郎の写実絵画:細密から簡素へ
 大澤鉦一郎の芸術を語るとき、つねに大正期の細密描写による写実絵画に焦点が合わされてきた。
 確かに、岸田劉生の草土社への対抗心をもって結成された愛美社の第1回展出品作の《自画像》(愛知県美術館蔵)には、この画家の強靭な意志が刻まれている。自己を冷静に見つめる細密描写という以上に、自己を叱責するかのような厳しい写実表現が感じられる。そこには現実にある自己ではなく、理想としてあるべき自己の姿が描かれている。
 これ以降、常滑や名古屋の風景、卓上の林檎や蜜柑、身近な少年や少女、花瓶の白菊や水仙、そして最愛の妻その子をモデルとして、細密描写による写実絵画を制作するが、その再現性が高まるとともに、象徴的な光による明暗表現が強調されるようになる。大澤は、存在の不思議に感動する劉生とは違って、存在を理想的に演出するのである。
 大正期の後半には、日本画へ接近するなど、西洋的な細密描写から離れ、昭和期には、簡素で平明な形態表現へ移行して、戦後を迎えると、太く伸びやかな輪郭線を特徴とする独自の画風を確立した。
 この対象の形態の極限的な簡素化にこそ、意志的な写実絵画を探求した大澤鉦一郎の芸術の真の到達点があるのではないだろうか。
山田 諭(京都市美術館学芸課長)
 
 
略歴
1893/名古屋市生 1912/東京高等工業学校図案科にて松岡寿に学ぶ 14/肺を患い同校を中退し愛知県知多郡にて療養。文芸雑誌『白樺』等をたよりに絵画を独学17/岸田劉生らによる「草土社」名古屋展に触発され「愛美社」を宮脇晴らと結成 19・20・21/愛美社展 1928/春陽会初入選 32/春陽会賞第2席受賞 46/第1回日展〈特選〉49/春陽会会員 60/大澤鉦一郎画業50年記念展(春陽会名古屋展会場) 73/逝去(80歳)。大澤鉦一郎/人と画業展(知多市公民館) 76・93・08/大澤鉦一郎展(名古屋画廊)
 
2017年5月19日(金)-31日(水) 久米亮子展
2017-04-19
《moment》72.7*72.7㎝
久米 亮子  展 -moment-
RYOKO KUME
5月19日(金)-31日(水)
 
久米亮子の世界
 生命体らしきものが、透明感のあるアクリルで描かれている。まるで、芯にみなぎるエネルギーがかたちをむすんで花開き、かろやかにふくらんだよう。そのふくらみは、花弁のように空気を内に包み込んで力を充溢させたかと思うと、時に水に放ったインクのように画面から外へと流れ出す。カンヴァスを超えて広がる絵画空間は、身体感覚に訴えてなんとも心地よい。例えるなら、風を受けた薄いベールが肌を撫でる感触であり、ゆったりと流れる水の中にわが身を浸した心持ちである。以前から久米は花弁を連想させるモチーフを画面の一部に登場させることはあったが、時を経て、それは主役となった。色彩の微妙な濃淡に神経を行きわたらせ、隣り合う色と色が生みだす緊張関係が慎重に追求されている。浮遊感漂う画面は、生あるもの皆すべてそうであるように、ゆるやかに動いている。全身を包みこむこの柔らかな感覚に、見る者は母親の胎内に守られているかのような安心感を抱くだろう。
 これまで一貫して明るく、美しく、未来への希望を感じさせる作品を追求し続けてきた久米。その根底にあるのはゆるぎない生への肯定だ。「その一瞬、心が幸福感にみたされる、そんな絵を描きたい。」そう語った彼女は、今回もまたしなやかな生命の泉を見せてくれるに違いない。
喜田早菜江(清須市はるひ美術館元学芸員)
 
略歴
1991/文化庁現代美術選抜展 93・95・97/ビエンナーレまくらざき<93佳作賞> 94-08/個展(ギャラリー山口〈東京〉) 97-/個展(名古屋画廊) 97/VOCA’97(上野の森美術館) 99/夢広場はるひ絵画展〈奨励賞〉(はるひ美術館)、久米亮子展(はるひ美術館) 02/ArtScholarship2001<現代美術賞>(本江邦夫部門) 05/光りの絵画展(名古屋画廊) 11/個展(ハートフィールドギャラリー〈名古屋〉) 12/個展(ART NAGOYA 2012) 12・14・16/個展(ギャルリー東京ユマニテ〈東京〉)15/flowers(高島屋新宿店美術画廊)
 
 
2017年4月15日[土]-26日[水]中西夏之 展
2017-03-01
《中央の速い白 ZZⅡのe》 1991年
中西夏之 展 NATSUYUKI NAKANISHI
-生命の維持体としての〈白〉-
4月15日[土]-26日[水]
 
生命の維持体としての〈白〉
 中西夏之は昨年10月23日、81歳の生涯を終えた。生存中、最後となった当画廊での「中西夏之展―思考の見えざる矢」(9月23日から10月8日)が終わった僅か2週間後のことで、その急訃の衝撃が今なお消え去ることなく、彗星の尾のように胸を揺るがし続けている。前回は1980年前後の代表作・弓形シリーズなどを中心とした作品が呼び戻された展示だったが、今回はそれに引き続いて1987年から91年の作品《白いクサビ・日射しの中で》あるいは《中央の速い白》シリーズの作品が中心となり、それに加えて連作の隙間を埋めるように制作をされた小ぶりながらそれぞれが大作を下支えする絵画作品が展示される。
 とくに中心になるシリーズ作品には、いずれも〈白〉を意識の主体に浮上させたタイトルが付けられている。《白いクサビ》とは画面への白の介入を意識し、《速い白》とは絵画空間に時間的要素を汲み入れた概念を想像させる。中西の絵画作品に出現した紫や黄緑の色彩が画面に脈動を与えることになったのは前回の展示でも明らかなのだが、生命の維持体には必ず微妙な調整役を必要とする。中西はその役割を〈白〉に見出したのではないだろうか。
 今回の展示作品も中西の絵画表現がたどりついた重要な道程の断面として重要な作品ばかりである。美術家・中西夏之の逝去を悼みつつ、その多様な遺業をふり返る機縁となることだろう。
 馬場駿吉(名古屋ボストン美術館館長)
 
略歴
1935年東京生まれ。初期の前衛的活動の後、60年代後半からは絵画制作が仕事の中心に据えられている。その作品は、様々な主題や要素への取り組みが連鎖、関連し、複雑に影響し合って成り立つという非常に独創的なものであり、常に日本を代表する作家として存在感を示してきた。近作「連れ舞」シリーズ。また、絵画を主体としつつも、インスタレーションやパフォーマンス、リヨン・オペラ座などの舞台装置を手がけるなど、その表現形態は幅広い。これまでに美術館での個展を数多く開催、主要な美術館に作品が収蔵されている。近年では2012年にニューヨーク近代美術館での「TOKYO1995 -1970:新しい前衛」展へ出品、2013年には国内で「ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡」展が開催されるなど、初期の活動も再注目されている。2016年、逝去
 
2017年4月1日[土]-10日[月]井上有一 展
2017-03-01
《想》 1964年
井上有一 展 Yu-ichi INOUE
-火の玉のように生きた-
4月1日[土]-10日[月]
 
豪快な芸術家-井上有一
 井上有一はついに20世紀後半の日本を代表する芸術家として各国に評価されるようになった。彼が一生を捧げた芸術は「書」だ。だが彼の仕事は、もはや「書」という言葉を連想させるものを超えている。だからこそ、書を知らず、したがって書の伝統や常識に縛られることなく、書作品をビジュアルアートのひとつとして見ようとする西洋人にも、多くの有一ファンが生まれたのだ。もとから国内よりも海外で評価が高い作家だった有一だが、1985(昭和60)年に没してからは、その名はさらなる速度で世界へ広がり、書の原郷である中国をはじめ、さらにファンを増やし続けている。
 有一は書に生きた。金をかせぐためでもなく、趣味でもなく、人生と書を重ね合わせて、ただひたすら火の玉のように生きた。有一のこの生き方、生活と芸術を両立させようとして苦悩し続けたその人生、単純、実直で不器用だが、しかしそれゆえ自分を偉大な芸術家へと育て上げることになったその生涯は、われわれに今、多くの教訓と大きな希望を与えてくれている。
海上雅臣 (美術批評家)
 
略歴
1916/東京生 35/横川尋常小学校(東京)の教員となる41/上田桑鳩に師事 52/墨人会結成、機関誌『墨人』発行 54/「日本書道展」(ニューヨーク近代美術館) 55/「日米抽象美術展」(東京国立近代美術館)。「現代日本の書」展(ヨーロッパ巡回) 57/「第4回サンパウロ・ビエンナーレ」 58/ブリュッセル万国博記念「近代美術の50年」展 59/ハーバート・リード著『近代絵画史』に掲載。第2回「ドクメンタ」(カッセル/ドイツ) 61/「第6回サンパウロ・ビエンナーレ」。「現代絵画・彫刻ピッツバーグ国際展」 69/「現代世界美術展」(東京国立近代美術館) 71/寒川町立旭小学校校長(神奈川) 79/「JAPAN TODAY」展(シカゴ) 85/逝去(69歳) 89/「大きな井上有一」展(京都国立近代美術館) 2016/「生誕百年記念 井上有一」(金沢21世紀美術館)
 
2016年12月1日(木)-6日(火)芥川紗織展
2016-08-01
《女Ⅻ》 1955年作
没50年 芥川 紗織 展 SAORI AKUTAGAWA
-何時までも炎を燃えさせよう-
12月1日(木)-6日(火)
 
日記より
 芸術とは何なのかしら、何のために私は絵を描いたりするのかしら、時々こんな気持ちが私を覆う様になった。でもそれでいいのだと思う。私はとても幸福ですから、私は胸の中に炎を抱いて居ります。常に何かを燃やし続けなくては私自身が冷たい灰になってしまう様です。
 私は描くことによって何時までも炎を燃えさせようとしているのです。炎は何時も強くなったり弱くなったりゆらめいて私を苦しめる。時々とんでもない方にとんでゆきたいな!でも私にはどうしようもならない時がある。
 私は一生懸命しています。毎日がもっともっと血と汗にいろどられたものでありたい。
芥川紗織 (芥川紗織日記、「芸術生活」1973年9月・26巻9号(289号))
 
略歴
1924/愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)生。47/東京音楽学校(現・東京藝術大学)声楽部卒。48/作曲家・芥川也寸志と結婚。50/ロウケツ染を野口道方に、絵画を猪熊弦一郎に学ぶ。54~57/日本アンデパンダン展。54・55/モダンアート協会展(54〈新人賞〉)。54~59・63~65/女流画家協会展。55/岡本太郎が亭主を務める「実験茶会」に北大路魯山人、丹下健三らとともに招待される。55~58/二科展(55岡本太郎室[第9室]に出品して〈特別賞〉)。56/4人展を池田龍雄、河原温、吉仲太造と2回開催。「世界・今日の美術展」(朝日新聞社主催・日本橋髙島屋)。57/アートクラブ展を池田龍雄、河原温、鈴木治、勅使河原宏、藤沢典明、吉仲太造と開催。59~62/滞米(ロサンゼルス1年、ニューヨーク2年)。60/「超現実絵画の展開」展(東京国立近代美術館)。女流画家協会日米交歓展(ニューヨーク・リバーサイド美術館)に草間彌生らと在米出品者として参加。61~62/アートスチューデンツリーグ(ウィル・バーネット教室)に学ぶ。63/建築家・間所幸雄と結婚。66/逝去(42歳)。
 
2016年11月18日(金)-26日(土)八島正明展
2016-08-01
《兄妹の渡る橋》 1994年作
画集刊行記念
八島 正明 展 MASAAKI YASHIMA
-人がかつてそこに居た「形跡」-
11月18日(金)-26日(土)
 
意外性を持つ絵画
 描きたいから描くのではなく、描く必要にかられて描き続ける画家はそう多くない。一貫したテーマを追う八島正明は、間違いなく後者に属する画家である。その根本にあるのは、戦後まもなく亡くなった弱者としての妹の死であった。まだ幼かった自分には助けることもできなかった妹に対する心痛の念は、顔も思い出せない妹の記憶を何度も辿る使命を背負うこととなった。そして、妹のイメージを絵画の世界で成長させることは、人がかつてそこに居た「形跡」や、存在そのものを問いかけることと深く連なっていった。
 夕刻には山影に覆われるという藤原岳の麓で、八島はずっと制作している。油絵具を筆で塗り重ねて像を結んでいく一般的な手法ではなく、母親の象徴的イメージであった裁縫の針で油絵具を掻き削る。私たちが日常意識しない、あるいはしたくない一過性としての個々の生命の意味を、削るという手法で呈示した八島の作品を前にすると、気が滅入るかと思いきや、意外と落ち着いた気分になれるのはどうした理由であろうか。
田中善明(三重県立美術館学芸員)
 
略歴
1936/三重県生。59/三重大学学芸学部卒。67・70・74/シェル美術賞展。69・74/ジャパン・アート・フェスティバル(パリ・モントリオール)。75/安井賞。77・97/現代日本美術展。78/日本国際美術展。79~82/明日への具象展。85・89/具象絵画ビエンナーレ。87/八島正明展(東京・西武アートフォーラム)。96/現代日本選抜展、小磯良平大賞展〈佳作賞〉。96・01/大阪国際トリエンナーレ。05/八島正明展(伊勢現代美術館)。06/個展(名古屋画廊)。08/現代のコンフィギュレーション(岡崎市美術博物館)。10/針生一郎が選んだ愛知60年代の現代美術展(堀美術館)。13/八島正明展(三重県立美術館)。現在、無所属。
所蔵:東京国立近代美術館ほか。
 
2016年10月28日(金)-11月11日(金)久野真展
2016-08-01
《星》1994年作
久野 真 展 SHIN KUNO
-画面空間の統合-
10月28日(金)-11月11日(金)
 
大きな画家・久野真
 久野真さんの作品は時代によって、画面から受ける印象の幅は大きい。その中で私の心に穏やかさを与え、芸術家としての存在の大きさを感じさせるのは、1994年の大作、題名《星》である。
 1988年までの20年あまりは、鈍く磨かれたステンレス板を直線に切った、深い溝のある厳しい画面で、不安を伴った緊張感のある表現が続いた。そのことについて、彼は曲線には見る人に情緒や感情を刺激する軟弱さがある、として拒否をしている。久野さんの作品のイメージは大よそ、この傾向の時代によって作られたように思う。
 私の母校でもある、市工芸の教員時代の彼は板の上に石膏を流し、古布の模様を押し広げたり、鉄板をハサミで切り、バーナーで炙ったりしている。その後も鉛板にしわを作り、直線との対比を強調してもいる。材質感や制作の即興性も感じさせて、見る人の感情を刺激する作品という印象が強い。
 最初にあげた《星》作品には、もはや鋭さや厳しさは影を潜め、画面空間を統合する意志がうかがえる。軽快な直線に再び曲線が加わりその間に大らかな空間を抱き、ゆったりした絵画空間を創出していて、久野真さんの全体像がそこには立ち現れている。
庄司達(造形作家)
 
略歴
1921/名古屋市生。61/ピッツバーグ国際美術展(カーネギー財団主催)。61~98/個展(東京画廊11回)。61~93/個展(桜画廊9回)。64/現代日本美術展(ワシントン・コーコラン美術館)。65/新しい日本の絵画彫刻展(サンフランシスコ美術館)。69/日本作家によるドローイング展(ロサンゼルス市立美術館、サンフランシスコ市立美術館)。73/個展(ビリアーズ画廊、シドニー)、日本現代美術展(N.S.W.州立美術館、シドニー)、個展(リアリティ画廊、メルボルン)。86/瞑想と戯れの抽象絵画展(奈良県立美術館)、日本現代美術展(台北市立美術館)。98/久野真・庄司達展(愛知県美術館)。98/逝去(78歳)。
所蔵:東京国立近代美術館、愛知県美術館、大原美術館、ニューヨーク近代美術館、カーネギー美術館ほか。
 
2016年10月14日(金)-22日(土)伊勢﨑淳=直野宣子展
2016-08-01
左:伊勢﨑淳 右:直野宣子
祝部、晴と褻の位相領域
伊勢﨑淳 = 直野宣子 JUN ISEZAKI=NOBUKO NAONO
10月14日(金)-22日(土)
 

 
 連続的に変形が可能な図形は全て同一視される。位相幾何学の考え方ではドーナツの形状(トーラス)とコーヒーカップの形状は同一であるとされる。これはまさに陶器製法に通底している。この製法のメタファーは、「晴と褻」の位相領域において「生」の中に内在している「死」と「死」の中に内在している「生」の所在を表象していることを指し示している。備前焼の源流を辿ると古墳時代中頃から奈良・平安時代以後まで作られた須恵器であること、さらに須恵器を祭祀用の土器として命名したのが祝部土器であった。直野氏の絵画作品によって位相領域化した空間において、伊勢﨑氏の陶器作品の固定性を今一度流動化させる。それが、直野氏曰く「私の絵と伊勢﨑さんの備前焼を同じ空間にただ置く」ことなのだ。
飯田高誉(インディペンデント・キューレター、森美術館理事)
 

  
 
伊勢﨑淳・直野宣子二人展へのいざない
 伊勢﨑淳さんは、ほぼ1000年の歴史を誇る備前焼発祥の地・岡山県備前市伊部に陶芸家を父として出生。早世された父上の後を継ぐことになりました。伝統的な備前焼の名品を多く制作し、2004年には重要無形文化保持者(人間国宝)に認定されました。他方、学生時代から多くの現代美術作家とも交友を重ね、立体造形焼成作品のインスタレーション展示など、幅広く活躍。過日訪問させていただいた陶房では、東京・六本木の現代建築に巨大な陶壁を組み込むプロジェクトに向けての仕事が進行中でした。今回の展示作品も備前伊部の古層に伝承されて来た地水火風に加え、現代に生きる伊勢﨑さんの気息をまとっているに違いありません。
 一方、直野宣子さんは油彩の作家で、薄明の水中にゆらめく不定形な生命体のイメージを素早く絵筆に掬いとるような純度の高い制作を続けています。今回の2人展は異なった世界の併置と言えるかも知れませんが、その純度には共通のものがあります。展覧会タイトル「祝部、晴と褻の位相領域」は直野さんの知人・飯田高誉さんの命名ですが、一見、異領域の存在をつなぐ考え方が含意された言葉です。詳しくは飯田さんのコメントをご覧下さい。
馬場駿吉(名古屋ボストン美術館館長)  
 
略歴
伊勢﨑淳:1936/岡山県生。71/ヨーロッパに巡遊。79/アメリカに巡遊。2002/総理官邸の壁画を制作。04/備前焼の人間国宝に認定。
直野宣子:1950/兵庫県生。98~2001/東大小児科めだかの学校(東京)。10/「明日への視線」展(金沢21世紀美術館)。個展多数。
 
作品画像
伊勢﨑淳/前《サークル》、後右から《クレイ・ボール》、《いきもの》、《ニョロ(群生)》、《侍》
直野宣子/《Novth Song-2》
 
2016年9月23日(金)-10月8日(土)中西夏之展
2016-08-01
《弓形 O-Ⅰ》1980年作
中西 夏之 展  NATSUYUKI NAKANISHI
-思考の見えざる矢-
9月23日(金)-10月8日(土)
 
レセプション:初日5:30p.m.~7:00p.m.
皆様のご来駕をお待ち申し上げます。
 
想像力を呼びさます中西夏之の画業
 中西夏之という美術家が歩んで来た道程を振り返ってみると、氏が20世紀後半以降の日本現代美術史の髄質形成にいかに重要な役割を果して来たかをあらためて深く感じさせてくれる。
 今回展示されるのは、まず1980年前後に制作された「弓形」シリーズの貴重な2点だ。当時、この作家の意識の中には円弧が生命にも共通する弾力性と時間性を内在させていることへの関心を深めた時期であり、連作という行為は〈展開〉ではなく、〈深化〉をめざすものとの言葉が公開された制作ノートにあったと記憶する。そのような思考の見えざる矢を画布に向けて深く射込む弾機として、画面に弓そのものが固着されていると見ていいのだろう。
 同時に展示されるのは1992~93年作の紫や緑の色彩が眼を染め上げる作品。脳室や脳幹を満たすようなさわやかな緑、神経線維を伸ばして様々な機能のネットワークづくりを進めるような蔓状の紫―そんな想像は作家の意図とは関係のない私的な見方だが、中西作品は様々な連想を発生させる。先入観念を捨て、真正面から作品に向き合って、その画力を浴びることをおすすめしたい。
馬場駿吉(名古屋ボストン美術館館長)  
 
略歴
1935年東京生まれ。初期の前衛的活動の後、60年代後半からは絵画制作が仕事の中心に据えられている。その作品は、様々な主題や要素への取り組みが連鎖、関連し、複雑に影響し合って成り立つという非常に独創的なものであり、常に日本を代表する作家として存在感を示してきた。近作「連れ舞」シリーズ。また、絵画を主体としつつも、インスタレーションやパフォーマンス、リヨン・オペラ座などの舞台装置を手がけるなど、その表現形態は幅広い。これまでに美術館での個展を数多く開催、主要な美術館に作品が収蔵されている。近年では2012年にニューヨーク近代美術館での「TOKYO1995 -1970:新しい前衛」展へ出品、2013年には国内で「ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡」展が開催されるなど、初期の活動も再注目されている。
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