株式会社名古屋画廊

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株式会社名古屋画廊
〒460-0008
愛知県名古屋市中区栄一丁目12番10号
TEL.052-211-1982
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展覧会のご案内

 

企画展開催スケジュール

企画展開催スケジュール
 
2016年10月28日(金)-11月11日(金)久野真展
2016-08-01
《星》1994年作
久野 真 展 SHIN KUNO
-画面空間の統合-
10月28日(金)-11月11日(金)
 
大きな画家・久野真
 久野真さんの作品は時代によって、画面から受ける印象の幅は大きい。その中で私の心に穏やかさを与え、芸術家としての存在の大きさを感じさせるのは、1994年の大作、題名《星》である。
 1988年までの20年あまりは、鈍く磨かれたステンレス板を直線に切った、深い溝のある厳しい画面で、不安を伴った緊張感のある表現が続いた。そのことについて、彼は曲線には見る人に情緒や感情を刺激する軟弱さがある、として拒否をしている。久野さんの作品のイメージは大よそ、この傾向の時代によって作られたように思う。
 私の母校でもある、市工芸の教員時代の彼は板の上に石膏を流し、古布の模様を押し広げたり、鉄板をハサミで切り、バーナーで炙ったりしている。その後も鉛板にしわを作り、直線との対比を強調してもいる。材質感や制作の即興性も感じさせて、見る人の感情を刺激する作品という印象が強い。
 最初にあげた《星》作品には、もはや鋭さや厳しさは影を潜め、画面空間を統合する意志がうかがえる。軽快な直線に再び曲線が加わりその間に大らかな空間を抱き、ゆったりした絵画空間を創出していて、久野真さんの全体像がそこには立ち現れている。
庄司達(造形作家)
 
略歴
1921/名古屋市生。61/ピッツバーグ国際美術展(カーネギー財団主催)。61~98/個展(東京画廊11回)。61~93/個展(桜画廊9回)。64/現代日本美術展(ワシントン・コーコラン美術館)。65/新しい日本の絵画彫刻展(サンフランシスコ美術館)。69/日本作家によるドローイング展(ロサンゼルス市立美術館、サンフランシスコ市立美術館)。73/個展(ビリアーズ画廊、シドニー)、日本現代美術展(N.S.W.州立美術館、シドニー)、個展(リアリティ画廊、メルボルン)。86/瞑想と戯れの抽象絵画展(奈良県立美術館)、日本現代美術展(台北市立美術館)。98/久野真・庄司達展(愛知県美術館)。98/逝去(78歳)。
所蔵:東京国立近代美術館、愛知県美術館、大原美術館、ニューヨーク近代美術館、カーネギー美術館ほか。
 
2016年10月14日(金)-22日(土)伊勢﨑淳=直野宣子展
2016-08-01
左:伊勢﨑淳 右:直野宣子
祝部、晴と褻の位相領域
伊勢﨑淳 = 直野宣子 JUN ISEZAKI=NOBUKO NAONO
10月14日(金)-22日(土)
 

 
 連続的に変形が可能な図形は全て同一視される。位相幾何学の考え方ではドーナツの形状(トーラス)とコーヒーカップの形状は同一であるとされる。これはまさに陶器製法に通底している。この製法のメタファーは、「晴と褻」の位相領域において「生」の中に内在している「死」と「死」の中に内在している「生」の所在を表象していることを指し示している。備前焼の源流を辿ると古墳時代中頃から奈良・平安時代以後まで作られた須恵器であること、さらに須恵器を祭祀用の土器として命名したのが祝部土器であった。直野氏の絵画作品によって位相領域化した空間において、伊勢﨑氏の陶器作品の固定性を今一度流動化させる。それが、直野氏曰く「私の絵と伊勢﨑さんの備前焼を同じ空間にただ置く」ことなのだ。
飯田高誉(インディペンデント・キューレター、森美術館理事)
 

  
 
伊勢﨑淳・直野宣子二人展へのいざない
 伊勢﨑淳さんは、ほぼ1000年の歴史を誇る備前焼発祥の地・岡山県備前市伊部に陶芸家を父として出生。早世された父上の後を継ぐことになりました。伝統的な備前焼の名品を多く制作し、2004年には重要無形文化保持者(人間国宝)に認定されました。他方、学生時代から多くの現代美術作家とも交友を重ね、立体造形焼成作品のインスタレーション展示など、幅広く活躍。過日訪問させていただいた陶房では、東京・六本木の現代建築に巨大な陶壁を組み込むプロジェクトに向けての仕事が進行中でした。今回の展示作品も備前伊部の古層に伝承されて来た地水火風に加え、現代に生きる伊勢﨑さんの気息をまとっているに違いありません。
 一方、直野宣子さんは油彩の作家で、薄明の水中にゆらめく不定形な生命体のイメージを素早く絵筆に掬いとるような純度の高い制作を続けています。今回の2人展は異なった世界の併置と言えるかも知れませんが、その純度には共通のものがあります。展覧会タイトル「祝部、晴と褻の位相領域」は直野さんの知人・飯田高誉さんの命名ですが、一見、異領域の存在をつなぐ考え方が含意された言葉です。詳しくは飯田さんのコメントをご覧下さい。
馬場駿吉(名古屋ボストン美術館館長)  
 
略歴
伊勢﨑淳:1936/岡山県生。71/ヨーロッパに巡遊。79/アメリカに巡遊。2002/総理官邸の壁画を制作。04/備前焼の人間国宝に認定。
直野宣子:1950/兵庫県生。98~2001/東大小児科めだかの学校(東京)。10/「明日への視線」展(金沢21世紀美術館)。個展多数。
 
作品画像
伊勢﨑淳/前《サークル》、後右から《クレイ・ボール》、《いきもの》、《ニョロ(群生)》、《侍》
直野宣子/《Novth Song-2》
 
2016年9月23日(金)-10月8日(土)中西夏之展
2016-08-01
《弓形 O-Ⅰ》1980年作
中西 夏之 展  NATSUYUKI NAKANISHI
-思考の見えざる矢-
9月23日(金)-10月8日(土)
 
レセプション:初日5:30p.m.~7:00p.m.
皆様のご来駕をお待ち申し上げます。
 
想像力を呼びさます中西夏之の画業
 中西夏之という美術家が歩んで来た道程を振り返ってみると、氏が20世紀後半以降の日本現代美術史の髄質形成にいかに重要な役割を果して来たかをあらためて深く感じさせてくれる。
 今回展示されるのは、まず1980年前後に制作された「弓形」シリーズの貴重な2点だ。当時、この作家の意識の中には円弧が生命にも共通する弾力性と時間性を内在させていることへの関心を深めた時期であり、連作という行為は〈展開〉ではなく、〈深化〉をめざすものとの言葉が公開された制作ノートにあったと記憶する。そのような思考の見えざる矢を画布に向けて深く射込む弾機として、画面に弓そのものが固着されていると見ていいのだろう。
 同時に展示されるのは1992~93年作の紫や緑の色彩が眼を染め上げる作品。脳室や脳幹を満たすようなさわやかな緑、神経線維を伸ばして様々な機能のネットワークづくりを進めるような蔓状の紫―そんな想像は作家の意図とは関係のない私的な見方だが、中西作品は様々な連想を発生させる。先入観念を捨て、真正面から作品に向き合って、その画力を浴びることをおすすめしたい。
馬場駿吉(名古屋ボストン美術館館長)  
 
略歴
1935年東京生まれ。初期の前衛的活動の後、60年代後半からは絵画制作が仕事の中心に据えられている。その作品は、様々な主題や要素への取り組みが連鎖、関連し、複雑に影響し合って成り立つという非常に独創的なものであり、常に日本を代表する作家として存在感を示してきた。近作「連れ舞」シリーズ。また、絵画を主体としつつも、インスタレーションやパフォーマンス、リヨン・オペラ座などの舞台装置を手がけるなど、その表現形態は幅広い。これまでに美術館での個展を数多く開催、主要な美術館に作品が収蔵されている。近年では2012年にニューヨーク近代美術館での「TOKYO1995 -1970:新しい前衛」展へ出品、2013年には国内で「ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡」展が開催されるなど、初期の活動も再注目されている。
 
2016年9月1日(木)-15日(木)庄司達展
2016-08-01
Living with Contemporary Art -No.18
庄司 達 展  SATORU SHOJI
9月1日(木)-15日(木)
 
レセプション:初日5:30p.m.~7:00p.m.
皆様のご来駕をお待ち申し上げます。
 
“人間と物質のあいだ”の向こう側
 庄司達さんの作家デビューは、桜画廊での初個展「白い布による空間」(1968年)とされている。作家や評論家も混沌たる社会状況に応答しながら、新しい美術を希求して発信する機運がみなぎっていた時代。母校に勤務する28歳の若手高校教師は、まさに絶好のタイミングで“作家”になった。
 翌年、桜画廊に続いてgalerie16(京都)で行った個展は「赤い布による空間」。10枚ほどの赤いカーテンが画廊空間に等間隔で垂れ下がった。前年の白い布はフレームの中で完結した造形美を誇示したが、ここでは人間を阻む物質性が明示された。これを契機に「第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ’70)」に参加、庄司さんはコンセプチャル・アートの動向に呼応し、その渦中でも活躍の場を得ていった。
 近年、東京ビエンナーレのみならず「映像表現’72」展(京都市美術館)の再現展示がされるなど、70年代の先鋭的な美術動向の検証に注目が集まっている。アーカイヴの限界を自覚しつつも、名古屋でもその意義と可能性を見極めた実践が期待されるところだ。2016年秋、喜寿を迎えるこの作家の新作個展。名古屋画廊に張り廻らされる白い布の間から、“人間と物質のあいだ”の向こう側を見渡したい。
高橋綾子 (名古屋芸術大学教授)  
 
略歴
1939/京都市生。名古屋市で育つ。62/京都市立美術大学彫刻科卒。68~92/桜画廊個展(16回)。68~11/galerie16 個展(京都)。79/名古屋市芸術奨励賞。95/浮かぶ布庄司達展(新潟市美術館)。98/久野真・庄司達展(愛知県美術館)。99 ~10/名古屋芸術大学教授。10/庄司達展(碧南市藤井達吉現代美術館)、愛知県芸術文化選奨文化賞。13・16/個展(名古屋画廊)。
 
 
2016年5月30日(月)-6月8日(水)横井礼以展
2016-04-01
《庭》 1925年作 油彩・キャンバス
生誕130年 画集刊行記念 横井 礼以 展 REII YOKOI
―前衛から「心象」へ―
5月30日(月)-6月8日(水)
 
横井礼以の芸術:前衛から「心象」へ
 青空に舞い上がる《揚げ雲雀》。ピーチクパーチク、ピーチクパーチク、賑やかに囀る雲雀だけを描いた大胆な構図の作品である。長閑な春の風物詩であるが、この作品が1941(昭和16)年に制作されたことを知ると、また別の違った感慨も生まれる。日本が太平洋戦争へと突き進んだ年の春も、《揚げ雲雀》は空高く舞っていたのである。
 東京美術学校に学んだ横井礼以は、当時、最尖端の前衛絵画(フォーヴィスムやキュビスム)に取り組んで、二科会の新鋭画家として活躍をはじめた。しかし、眼疾悪化のために名古屋に帰郷した頃から次第に、自由で素朴な画風へと移行して、日常生活のなかで目にした身近な光景から発想した「心象」を、ユーモラスな作品として制作するようになった。昔話「さるかに合戦」を主題とした連作に描かれた猿と蟹をはじめとして、燕や雛、蜻蛉や蝉、鰐や亀など、小さな動物や昆虫などが暮らす世界を優しく眺めるなかで、柔らかく朧げな画風が完成された。
 横井礼以の芸術の軌跡は、日本の近代絵画の歴史のなかで、大きく緩やかな弧を描いて、前衛から「心象」へと展開したのである。
山田 諭(名古屋市美術館学芸員)
  
 
略歴
1886/愛知県(現)弥富市生。1912/東京美術学校(現・東京藝術大学)卒。14・15/文展入選。17/二科展初入選。19/二科展〈二科賞〉。23/二科会会員となる。30/名古屋市に新設された緑ヶ丘中央洋画研究所の「指導主任」となる。47/二紀会創立に参加。50/中日文化賞。60/画集刊行。67/名古屋造形芸術短期大学(現・名古屋造形大学)開学とともに名誉教授となる。76/「キュービズム展」(東京国立近代美術館ほか)に《庭》が出品される(同作品はその後「1920年代・日本展」(東京都美術館ほか)などにも出品される)。80/逝去(93歳)。87・05/横井礼以展(名古屋画廊)。
 
 
2016年5月18日(水)-5月25日(水)巨匠にみる「絵とは何か」展
2016-04-01
黒田清輝《婦人像》 8F 1892年
巨匠にみる「絵とは何か」展 No.18
―日本洋画の挑戦―
5月18日(水)-5月25日(水)
 
 
 

 

 
2016年4月14日(木)-26日(火)吉原治良【覚えがき】展
2016-04-01
《作品》 1967年作 墨・紙
吉原 治良【覚えがき】展  JIRO YOSHIHARA
「円」へ ―思考と試行―
4月14日(木)-26日(火)
 
吉原治良の素描
 吉原治良の素描はまるで意識を否定するかの如く、一瞬をとらえ、出来るだけ素直に描いている。絵画を制作する意識とはまた別の意識によって、むしろ無意識に近く、態(わざ)と下手に描いているようでもある。私の推測だが、ある素描は、眼を瞑(つむっ)て一気に描いたのだろうか。瞬間の手の動きは偶然性を生かし直感により描かれている。此れら、素描の幾つかを大作にも繋げている。キャンバスに描く時はどうしても身構える傾向が無きにしも非ずだが、画紙の柔らかな面に、鉛筆、クレヨン、水彩、墨で暗示を含めて素早く気ばらずに描く形は自然体でスケッチブックに残る。再び、スケッチブックを視る時、其れ等の形を創作に繋げるか、紙に描かれた素朴な美を尊重するかの二つの判断が生じる。其の儘に残しておく場合は、自然になんの躊躇(ためらい)も無く描かれた形と美そのものである。一瞬に描いた行為は直感であって、客観性を伴ってなく、時間の流れと共に別の視覚意識が生じ、内心を客観視出来る。そして、絵画にするか、しないかの判断がはたらく。絵画にする際、キャンバスの布地の質感と大きさの大小に、新たに創作される形と、余白を、素描の良さに如何に繋げていくかである。既に、描いた素描の美にこだわる様で、こだわらない。ただ今の創作意識をもって、動因意識をはたらかせて独創性のある作品に繋げていかなければならない。異なる材質の油彩やアクリリックで描かれた絵画は絵具とキャンバスの物質、即ち、マチエールの厚みが生じ、此れは素描の自由性とは別の表層をみせる。
松谷武判(画家、在フランス)
  
 
略歴
1905/大阪市生。29/藤田嗣治の激励をうける。34/二科展初入選。 38/二科会の前衛作家による「九室会」結成に参加、会員となる。52/「現代美術懇談会(ゲンビ)」(大阪)の発足に参加、幹事となる。54/「具体美術協会」を17名で結成、代表となる。57/ミシェル・タピエと大阪で交流。58/海外での具体展のため渡欧米。62/活動拠点として「グタイピナコテカ」(大阪中之島)を開館。64/グッケンハイム国際賞展。70/大阪万博お祭り広場にて「具体美術まつり」。71/インド・トリエンナーレ〈ゴールドメダル〉。72/逝去(67歳)。具体美術協会解散。
 
 
2016年4月1日(金)-4月9日(土)髙梨芳実展
2016-03-31
《ドレスを纏う人》 20号
髙梨 芳実 展 YOSHIMI TAKANASHI
-“厳しき美の求道者”-
4月1日(金)-4月9日(土)
 
レセプション:初日5:30p.m.~7:00p.m.
皆様のご来駕をお待ち申し上げます。
ギャラリートーク4月1日(金)2日(土)8日(金)9日(土)各15時より  
 
髙梨芳実さんの個展に寄せて
 髙梨さんは還暦を過ぎたばかりだが、今や画壇をリードする逸材、私が最も敬愛する画家。その作品には人の心を捉える魔力があるし、常に“厳しい美の求道者”であり続ける。
 25年前に名古屋画廊の名爽会展で、当時は未だ新進であった彼の小品《菜の花》にひと目惚れしたのが始まり。兎に角、彼の描く花と人物は出色で、その後2001年から2年連続の日展特選、2003年には白日会展で〈内閣総理大臣賞〉〈伊藤清永賞〉のダブル受賞と大躍進! 私の眼に狂いなしと快哉を叫んだのも懐かしい思い出である。
 彼の人物画には鋭い眼力で心の内面まで抉り出す凄さがある。地元三島で数百人の肖像を地道に描いた“150枚の肖像画展”などで培われたのだろう。私も古稀の記念にと自分の肖像を依頼した時に、心の中まで凝視される様な、一種の戦きを禁じ得なかった。
 今回この小文を依頼されて、久し振りに彼の《菜の花》を飾った。五分咲きの菜の花が灰色の鉢から顔を覗かせて「やあ元気かい?」と語りかけて来る。更に何より嬉しいのは、ここ10年程、ダブル受賞の重圧からでもあろう髙梨さんが体調を損ねて雌伏を余儀なくされていたのが、昨年の髙島屋個展辺りから再起、堂々たる「白い百合」やお得意の女性像が蘇って来たことである。これこそ健康回復と新しい活路の証し。是非皆さんにも今後の彼の画業にご期待頂きたいと念じて止まない。
小野茂勝(元・愛知トヨタ自動車株式会社副社長)
  
 
略歴
1954/北海道生。78/阿佐ヶ谷美術専門学校絵画科卒。85~89/名爽会展(名古屋画廊)。90/セントラル絵画大賞展。95~/名古屋画廊個展(6回)。97/白日会展〈文部大臣奨励賞〉、参議院五十周年記念式典図制作。01・02/日展〈特選〉。02・03/文化庁現代美術選抜展。03/白日会展〈内閣総理大臣賞・第1回伊藤清永賞〉。15/日中文化交流(上海.北京等)。現在・白日会常任委員、日展会員。
 
 
2015年11月19日(木)-28日(土)田口貴久展
2015-11-16
《赤い風景》120号
田口 貴久 展 YOSHIHISA TAGUCHI
-揺るぎない造形と確かさ-
11月19日(木)-28日(土)
 
田口貴久展によせて
 田口貴久氏と出会って40年になります。学生時代から今日に至るまで彼の作画姿勢は小さな横ブレを見せながらもその方向は一貫としたものであり伝統的具象の流れの中にあったといえます。それは彼自身が感じる今日的コンテンポラリーアートに対する強い違和感からくるものであり、彼の言葉を借りれば「現代美術の多くは理性偏重な態度で怠惰を隠した、ただのパズルに過ぎない。人間の深層に切り込む何物もない」と言い切る。彼の口から吐き出された、この言葉の意味とその真理性を立証する行為として、彼の作画は続けられてきたように思われる。では、彼の横ブレとは何だったのか、この問題点への解答が作品から見えたとき、田口氏が「過去」を乗り越えた時、自らを更に確立できるであろうと私は常々思っているところです。この度、田口氏が名古屋画廊で個展を開催されると聞き、大いに期待し、また、発表される作品の全てが、私が送る彼へのエールの答えとなっているものと信ずるものです。美術を模索する我々にとっての定義ともいえる「揺るぎない造形と確かさがなければ、そこに感動もなく存在性も薄い」というある先輩の言葉を、名古屋画廊の会場一杯に展示された田口作品から認識できるであろうと楽しみにしています。
神戸峰男(名古屋芸術大学名誉教授・日本芸術院会員)
  
 
略歴
1953/愛知県豊川市生。76/名古屋芸大卒。78/愛知県立芸大大学院修了。83~95/アッサイ21展(愛知県美術館等)。85~92/名爽会展(名古屋画廊)。 86/ジャパン絵画大賞展〈佳作〉。93~13/名古屋画廊個展7回。94~95/滞仏。2000~02/和の会招待出品(銀座 和光)。04/田口貴久展(網走市立美術館)。07~/笠の会展(松阪屋)。14/ヴェロン展(一宮市三岸節子記念美術館ほか)。現在 立軌会同人、名古屋芸術大学教授。
個展:ギャラリー和田、名古屋松坂屋、高輪画廊ほか。
 
 
2015年10月9日(金)-21日(水)三回忌 石黒鏘二展
2015-10-08
マケットによる構成
三回忌 石黒 鏘二 展 -SHOJI ISHIGURO-
6月22日(月)-6月27日(土)
 
わが友、石黒鏘二
 石黒鏘二の彫刻が我が家の玄関に立っている。新築時に拙作油絵と交換した作品だ。この彫刻が、横浜の海から吹き付ける風で破損したことがあった。作者に電話すると、翌日数人の職人がやってきて、元通りにしてくれた。以来、風の強い日は紐で縛ることにしている。その度に石黒鏘二のことを想い出す。    
 旭丘高校美術科へ入学した時、石黒はすでにデッサンの名手だった。最初の石膏デッサンのコンクールで石黒が1位、私は2位だった。この順位は卒業してからも変わらなかった。石黒は現役で東京芸大へ、私は1浪でというぐあいに。
 石黒鏘二のアトリエ開きに招かれた時のことだ。名古屋画廊の中山真一氏にも招待状が届いており、車に同乗させてもらって出かけた。車中でなぜ自分が招かれたのかな、と中山氏がつぶやくので、その時思い出したのである。拙著『プロ美術家になる』を贈った時に示した石黒の反応を。中山氏の画商としての有能ぶり記述した箇所に石黒はいたく心を動かされた様子だったのだ。
 アトリエ開きからしばらくして、中山氏のもとに、石黒から何点かの寄贈作品が届いたという報告を受けた。今回の遺作展はその時の石黒鏘二の志を中山氏が受け止めて実現したものと思われる。どんな展観になるのか、楽しみである。
佐々木豊(ささき ゆたか画家)
 
略歴
1935/名古屋市生。54/愛知県立旭丘高校美術科卒。58/東京芸大彫刻科(石井鶴三教室)卒。67/名古屋造形芸術短大(現・名古屋造形大)開学とともに彫刻コースの専任講師(79教授、98~06学長)。68/行動美術協会会員。69/ジャパン・アートフェスティバル(東京国立近代美術館/パリ、ミュンヘンへ巡回)。72/桜画廊個展(以後4回)。73/第1回ラベンナ・ダンテスカ国際ビエンナーレ(フィレンツェ)〈金賞〉。79/第1回ヘンリー・ムア大賞展(箱根・彫刻の森美術館)〈佳作賞〉。85/現代日本彫刻展(宇部)〈宇部市野外彫刻美術館賞〉。09/名古屋市芸術特賞。13/石黒鏘二展(碧南市藤井達吉現代美術館)、逝去(78歳)。
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